親からの呪縛は自分で断ち切るべし!人生を切り開くのは自分自身!

親からの呪縛は自分で断ち切るべし!人生を切り開くのは自分自身!
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こんにちは、ファイナンシャルプランナーを目指しているゆうです。
 
親子って言う切ってもきれない関係。
育ててもらったことは感謝している。
だからと言って、子の人生まで支配しようとしてはいないか?
 
今回は、親からの呪縛・確執について考えてみたい。
 

親 呪縛
 

親はいつまでたっても親。

 
私は、今年40歳になる3人の子持ち主婦である。ファイナンシャルプランナーへの転職を考えている。
 
現在は育休中で、6ヶ月の子を育てながら転職への情報収集をしている。
転職を考えていることを、必要に迫られ母に話した。
 
母は「今の職業がいいと思うけどな。」
 
分かる。分かるよ、気持ちは。
今の私の職業は、母がなりたかった職業だからだ。
経済的な理由で進学を断念した母は、高卒で就職した。
 
その後、シングルマザーとなり私を育ててくれた。専門の大学を出ないとなれない国家資格である。
それなりの難関である。誰でもなれるものでもない。収入も下がるだろう。
 
それを手放そうとしている娘に、一言いいたくもなるだろう。それは分かる。
 
成人しても、孫ができても、いつまでも自分の子供なのである。
心配するのも無理はない。
 

ドラクエで例えてみる。

 
お気に入りのキャラには、いい武器、防具を装備させる。種も優先して使わせてステータスを上げていく。自分好みに育てていくのが醍醐味だ。
 
回復も優先して目をかけて、育てていけば愛着も出てくる。
 
よし、今日はこの洞窟にチャレンジしよう。どこまで長いかも分からない、どんな敵が出てくるかも分からない。
呪文を控えてMPを温存しながら進もう。
 
そう思って突入する。
半ばまで来たとき、今まで自分の指示通りに動いていたお気に入りに、突然、自我が芽生えた。
 
好き勝手に動きだす、私のお気に入り。
 
え、え、なんで、勝手に何?
そこでライデイン?
MP節約しようよ!
まだ回復しないの?
え、そっちに進むの?
 
自分の思う通りに動かない。
こうなると、ストレスである。
なぜ私の言うことをきかない?
今まで育ててきたのに。
 
 
子供の自立とは得てして、こういうものではないだろうか。
親から見れば無謀に見える挑戦。
でも子は子なりに必死に考えている。
間違ってもボス戦でザキなど唱えない(笑)。
 
先には回復ポイントがあるかもしれない。
レベルが上がるかもしれない。
失敗してもいいじゃないか。
 
蝶よ花よと育てた我が子も、成人して家庭を持ち、一人前になっていく。
 
小さいときは好きな食べ物、お友達、遊び、よくやる癖、みんな知っていた。大人になるにつれ知らないことが増えていく。
 
過干渉にならないように、でも離れ過ぎないような位置をキープするのは難しいのだろうか。
 

傷ついた出来事

 
数年前だろうか。
ファイナンシャルプランナーに家計相談してみたいな〜と、何気なくつぶやいた。
 
母は言った。
「せんでいい。そのくらい自分でできる。」
 
唖然とした。
…へえ、そんなこと言うわけ。
よく言えたな。
相手はプロだぞ!
何を知ってるの?
何が分かってるの?
 
私は母に軽く失望した。
もう、母には何も言うまい。
 
母は、ファイナンシャルプランナーが何たるかを知らなかったはずだ。
子供が自分の知らないことをやろうとしている。知らない領域に足を踏み出している。
 
それが許せなかった。認めたくなかったのではないだろうか。
つまり、「気に入らなかった」のだろう。
 
その一言に込められた拒否感、拒絶感。
声の質、トーン、言い方で、その否定的な感情に一瞬で気づいた。
 
「ファイナンシャルプランナーって何?」
「何をしてもらえるの?」
と、肯定的な言葉ならもっと話そうと思えるのに。
 
いきなり否定だったからね。やっぱりショックだよ。
いきなりはステーキだけにしてもらいたい(笑)
 
子供なら傷つかないとでも思っているのか。
他人ならオブラートに包んだ表現になるだろうが、身内ならではのストレートな物言い。
 
きっと母は忘れているだろう。
それから私は、ファイナンシャルプランナーのことを、積極的に母に話さなくなった。
 
 

その船を漕いでいけ!

 
母の言うとおりに転職を諦めたとしよう。
私はきっと後悔する。
後悔し続ける。
そして母を責めてしまうかもしれない。
 
でもそれも含めて自己責任だ。
結局、決めたのは自分なのだから。
 
今生きているのは誰の人生?
いわずもがな、自分の人生だよね。
先人たちのアドバイスはあれど、結局決めるのは自分だ。
 
やっぱり後悔したね、じゃあ10年前に戻ろうかって訳にはいかない。
 
人生の岐路に立った時。
結局、最後に決めるのは自分だ。
自分じゃなきゃダメだよ。
決断を人に委ねて後悔だけはしたくない。
 
TOKIO的に言うと「お前のオールを任せるな!」ってことだよ(笑)。
 

親と子は違う生き物

 
小さい頃、親はなんでもできる絶対的な存在であった。
 
成長して分かったことが2つ。
1つは、親と言えども1人の人間であって、合うところもあれば合わないところもあるということ。親子と言えども別々の個体だ。
 
そして、もう1つは子供の成長、自立を素直に喜べない時があるということ。
 
小さい頃は守るべき存在だった我が子。
いつしか力関係は逆転する。体力も知力も。そして、子が親を凌駕するようになる。
それに耐えられないのではないだろうか。
 
 
「老いては子に従え」と言うが、言い得て妙である。従うまではいかなくても、否定せず必要とされたら力になる。そんなスタンスで居て欲しい。
 

否定された親子の行く末

 
子は親を見限ると、親にさえ忖度するようになる。次第に話さなくなる。
知られないように動くよ。
そして、事後報告になる。
 
もっと悪化すると事後報告すらなくなる。
周囲からの情報で我が子のことを知るようになる。
 
それって悲しいよね。
せつないよね。
我が子のことなのに。
 

肝に銘じよう

 
私は子であり、親でもある。
 
親の自分へ。
子供は自分が操縦するものではない。
愛玩具ではない。
自分の夢を託す存在ではない。
子が自立してからの人生のほうが長いよ。
先に老いるのは自分だ。
口を出すより見守ろう。
 
子の自分へ。
自分の人生を生きよう。
誰に気を使う必要がある。
親であろうと遠慮はいらない。
あなたの人生だ。
自分色に染めれば良い。
 
 

元来はいい母

 
私は決して母と仲が悪いわけではない。
普段 は子育てに奮闘している私をなにかとねぎらってくれる。 
毒親でもない。
 
私が疲れ果て横になっていた時は、夕食を一品作って帰ってくれる。
 
こんなの欲しいんだよねって言ってたモノを買っててくれる。
 
孫の面倒をよくみてくれる。
普通に好きだし感謝している。
 
相容れないところは、ほんの一部なのだ。
その一部の存在がでかいのだ。私にとっては。
 
親子の関係はこれからも続く。
どうにか母にも分かって欲しいし、いい関係でいたい。
 
親子でも譲れないことがある。
それを分かって欲しい。
いつか届いて欲しい、この想い。
 
自分は子の理解者でありたいと強く願う。
いつか母にも届きますように。
 
 

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